「noteで頻繁に書いていたので、ブログも余裕で書ける」と思っていました。
前提:私は先日noteからWordPressに移行しました。noteでは150本以上書いていました。
なぜ書けないのか
文章を発信するということは、責任が伴うじゃないですか。説明不足で誤解を与えたり、そもそもオカシイ考えで誰かを不用意に傷つけたり。
「そんな責任を負ってまで、書きたいことなんてあるの?」「そもそもnoteからWordPressに移行する必要、あった?」と自問自答しています。弱気〜!なので理由を書きながら掘り下げることにしました。
noteを辞めても、余裕で書けると思っていた
noteもブログも、書くときの感覚はそう変わらないだろう(=余裕)だと思っていました。
が、結構感覚が違いますね。どう違うか考えたのですが、それは「noteというプラットフォームの中の私か」「インターネットという海に漂う私か」という違いだと思いました。
noteでは、すでに私のことを知っているフォロワーさんが読んでくださることが大半でしたが、ブログは検索してたまたま辿り着いた人、つまり「お前という人間がどういう奴かは一切知らん」という方が読んでくださることもあると思います。私はそれにビビっているのです。
なぜビビるか
自分自身が「内輪ノリに厳しい視点があるから」ではないかと思っています。馴染みの方が読んでくださるからこそ、説明をかなり省いても伝わる、一般的ではない独特な表現をしても許されるというか。それは今までの関係性があるからこそ成り立つことで、そのノリは「一見さん」には伝わりません。私はそれを恐れているのです。(大げさすぎる気も)
「noteだと内輪ノリでもOK」「noteだと発信するときに、ビビらなくて良かった」とか、そんなことを言っているのではないですよ!
心配しすぎの自意識過剰では
そもそもSEOを意識したライティングをしていない→そんなに検索に引っかからない→見られないから心配すんなよと思わなくもないです。
でもそれは「必要なビビり」だと思う
ブログを書くことに何の躊躇もない方が、そのうちやらかすと思います。これを書きながらも、「こんな脳内垂れ流しみたいな記事、発信のリスクを負ってまで書く必要があるのか?」「noteから移行します!と大風呂敷広げて、移行する必要あった?」と思っています。noteで書くときには思いませんでした。
例えると「ファンの方も多い劇場で漫才をするのと、アウェーの劇場で漫才をするの、どっちがやりやすいか」という話ではないかな、と思います。そりゃホームの劇場がやりやすいに決まっていますよね。でも「漫才師として飛躍するためには、アウェーでやることも避けては通れない。ビビって当然」だと思います。漫才師ではないですが。
何を目標にしているのかは分からないですが
「より飛躍するためには、ビビりも必要」とは書いたものの、何をもって飛躍とするのかは、自分が何を目標にしているのかは分かりません。が、目標を決めずに成り行きでブログ運営を楽しみたいです。
応援よろしくお願いします。

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